2013年09月28日(土) 「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のため に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」ガラテヤ6 :7
「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のため に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」ガラテヤ6 :7
「蒔いたものは刈り取る」これは変わる事のない法則だ。法則だか ら、例外が無い。必ずそのようになる。神は決して侮られる方では なく、自分の歩みと生き方には、必ず責任が問われるという事にな る。自分の蒔いたものは、すぐにではなくても、時期が来れば必ず 刈り取る。 二種類の種蒔きがある。肉のための種蒔きと御霊のための種蒔きだ。 肉のためとは、肉の欲望を満たすためであり、又、表向きは善い行 ないであっても、それが自己満足や自己顕示欲や、自分を喜ばせる、 自分に栄光を帰する動機から出ているなら、肉の種蒔きだ。苦しみ や悲しみ、痛みを刈り取る事になってしまう。 御霊のためとは、自分を主に渡して、御霊の導きに従い、神の愛に 応えるための種蒔きだ。具体的には、御霊の導きにより、自分の労 力や時間やお金を使う事だ。これは自我があるのでなかなか難しい。 欲があるし、自分を愛しているので、葛藤が生じる。だが、すぐに 諦めたり、止めないで、まず「自分には出来ません」と主に祈ろう。 自分の姿を認める時、そこに御霊が働かれ、不思議なみわざをされ る。「したく無い者です。助けて下さい」と祈っていると、御心を 行なえるように変えて下さる。まさに自分の力でなく御霊の働きだ。 気づくと、従いたいと思うように、心が変えられている。 ・・・・・・・・・・・ 肉の欲があって、自分の力では、御霊に蒔く事はできない。「自分 には出来ません」と、ありのまま祈って行こう。その時、御霊が働 いて、御心を行えるようにされる。喜びと平安を刈り取り、更に主 を喜びもって知って行ける。