2013年11月29日(金)

「このように、サウルは主に逆らったみずからの不信の罪のために死んだ。主のことばを守らず、そのうえ、霊媒によって伺いを立て、主に尋ねなかった」T歴代10:13


サウルは、ペリシテとの戦いの事で不信の罪と言われたが、しかしその前にやはり主に従う事をしていなかった。アマレクとの戦いで「すべてのものを聖絶せよ」との主の命令に、最も良いものを惜しみ、どうでもよいものだけを聖絶した。主の言葉に従わず退けたので、主もサウルを王位から退けられた。サウルは罪により主との関係が絶たれてしまった。

サウルは「罪を犯しました、しかし、私の面目を立てて下さい」と言った。これは罪の悔い改めではない。自分の体裁、体面を守るためのものでしかなかった。私たちも、罪とは人前で面目を失う事と考えていないか。それなら人前で面目を保てば良しとなる。そうではなく、人は関係なく、罪とは神と自分との間のことだ。サウルはペリシテとの戦いで、主に伺ったが、主はいっさい答えられなかった。それで霊媒へと向かった。まず主との関係が第一に重要で大切だ。その関係が修復されていないのに、悔い改めが無いのに、伺いを立てても、答えが無いのは当然だ。

主との関係が、損なわれてしまっているのに、自分勝手に願ってもどうにもならない。「主に尋ねなかった」と言われ、つまり尋ねた事にならないと。神との関係が何よりも大切だ。ダビデは姦淫、殺人の重罪を犯したが、真に悔い改めた。しかしサウルにはいっさい悔い改めが無かった。悔い改めにより、神との関係は回復される。あなたと神との関係はどうだろう。
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主よ、主よと言いながらも、深いところで主との繋がりがなければ、迷い、目の前のわかりやすい導きに飛びつきたくなる。主は悩みも罪も全て聞いて豊かに赦し導いて下さる。主との関係を深く保とう。