2014年01月30日(木)

「わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののようにみなす」ホセア8:12 

神はイスラエルのために、多くの教えを与えられたが、彼らはその教えを他国人のものとみなし、自分たちへ向けられたものとはしなかった。自分とは無縁なもの、無関係であり、「他人事」としていた。私たちはどうだろう。礼拝でメッセージを聞く時、又、デボーションで御言葉を読む時、他人事としていないか。

自分の事として聞かないので、どこまでも傍観者であり、右から左にすり抜けて行く。御言葉が心に入ることも、心に刺さることも、根づくこともない。又、自分には当てはめないが、他人に当てはめて、あの人に、この人にピッタリだと。あの人、この人は変わるべしかし、御言葉をそのように聞くべきではない。ひたすら自分の事として聞くべきだ。御言葉の物差しを人に向けず、自分にのみ向ける事が大切だ。人に向けると、裁きとなって行く。他人の小さなちりに目をつけるが、自分の大きな梁に気づかない。日頃の御言葉の聞き方はどうだろう。

他国人のもののように聞いていないか振り返ろう。メッセージを、御言葉を、自分自身に、自分の生活に当てはめよう。御言葉は光として、心の内を照らし出し、鏡となり自らの本当の姿を映し出す。心の奥が探り出される。慰めや励まし、指針が来て、罪の指摘や矯正がある。御声に従って行く時、必ず成長して行く。変えられて、新しくされて行く。聞く態度が、極めて重要だ。
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御言葉は今日も神様から私に語られる。日毎に新鮮な気持ちで御言葉を受け取ろう。大切ないのちの糧はさらに与えられ、人事のように聞いているなら気づかぬうちに霊的に細ってしまう。