2014年02月27日(木)

「恐れてはいけません・・まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい」T列王17:13



エリヤは主から示しを受け、ケリテ川に身を潜めた。飢饉の中で、そのケリテ川で養われ、やがて川が枯れた時、次に、シドンのツァレファテへ行くように告げられた。そこで、やもめ女に命じて養うと。主の言葉に従い、その町へ行くと、そのやもめ女に出会った。そこで彼女に水とパンを求めた。すると、エリヤを養うべく備えられた女性は、最後の一握りの粉でパンを作り、母子で最後の食事をして死のうとしているという。

何という悲惨な状況だろう。どんな裕福な資産家と思いきや、極貧にある女性であった。エリヤは何と思ったろう。目の前の人物は、人を養う事など不可能ではないか。だが助けを求めなければならない。人間的に考えるなら、その最後のパンを自分にくれとは、とても言えない。しかしエリヤは目に見えるところでなく、情でも、自分の思いでもなく、ただ御言葉に従った。

まず私に小さなパンを作り、その後にあなた方のために作るようにと。そうするなら、飢饉が終わるまで粉は尽きず油は無くならないと。人の思いや情は、神のみわざを妨げてしまう。エリヤは神を信じ、御言葉に立ち、そして彼女はその言葉に従った。すると母子は飢饉の間中、豊かに養われた。神を第一にする時、みわざを見る。自分の思いや情、見えるところが逆行していて、反対に見えても、神の言葉を選択し、従おう。その時、神を体験して行く。
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今そんな場合かと勝手に時を計り、御言葉を語ることをためらう時がある。自分の判断ではなく主権は神にあることを覚えたい。時を逃さず、神を信じ忠実に従おう。