2014年06月29日(日) 「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足さ せるようなことはありません」ガラテヤ5:16
「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足さ せるようなことはありません」ガラテヤ5:16
御言葉には、様々な戒めがある。「偽ってはならない」「妬むな」 「愛しなさい」「赦しなさい」・・。戒めを守らねばならないと、頑 張るが、出来ないので、信仰生活が苦しくてたまらない。「愛さね ばならない」「赦さねばならない」「祈らねばならない」となり、 「〜しなければならない」「〜してはだめ」で、がんじがらめだ。 辛い、しんどいだけの生活になってしまう。油の切れた機械のよう だ。信仰を持ったばかりに、きしんで、辛い、疲れる人生になる。 これは御霊によらずに、自分の力で行なっているからだ。ガソリン の無い車を自分で、押しているようだ。 「御霊によって歩みなさい」とあるように、御霊に導かれると全く 変わる。「〜ねばならない」でなく「〜たい」「〜しよう」に変わ り、「喜ばなくてはならない」でなく、自然に御霊の喜びが出て来 る。主に受け入れられるために、愛されるために、あの事、この事 をするのではなく、すでに受け入れられているから、愛されている から、こうしたい、ああしたい、に変わる。 この転換は御霊が与えて下さる。歩みが辛いなら、更なる努力や頑 張りが必要なのではない。頑張り過ぎて疲れ果てている。「自分 が」「自分が」と、頑張っていて、御霊を締め出してしまっている。 自分を明け渡して、御霊の助けを求めよう。そうすれば油を差した 機械、ガソリン満タンの車のように、潤ってスムーズに御霊に導か れて行く。 ・・・・・・・・・・・ 自分の力で歩む時、感謝や喜びでなく、不満が噴出する。心に潤い が無く、平安が無い。立ち止まって、主を見上げ、あるがままの心 の現状を主に祈ろう。委ねて行く時、自分が変えられる。御霊に導 かれる時に、心に御霊の喜びと平安が来る。