2014年08月30日(土)

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる 祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきな さい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が・・守って くれます」ピリピ4:6 



「何も思い煩うな」と言われている。「何も」、いっさい思い煩う
なと。まず、そんな事で良いのだろうかと、肉は思う。そんな能天
気な事で良いのか。少しぐらい煩わないといけないのでは。「しか
し、私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいませ
ん」。

煩う必要はいっさい無い。「何も」思い煩うなと。では、思い煩い
に、どう対処すればよいのか。思い煩いが来るごとに、具体的に一
つ一つを神に告げよと、言っている。「あなたの願い事を神に知っ
ていただきなさい」、とにかく神に知って頂いて、その思い煩いを
神に委ねることだ。

そうするなら、神にその問題を渡してしまったわけで、問題は神の
手に渡り、もはや神の手の中にある。後は、神が御心にかなったよ
うに成し遂げて下さる。それゆえ、委ねて安心しておればよい。主
は、あなたにとっての最善をして下さる。

しかし、しばしばここで間違うが、自分が思う最善ではなくて、神
が私たちのために思われる最善だ。だから自分の思い通りになると
は限らない。だが、間違いなくあなたの最善になる。そして、「感
謝をもって」告げよと。

「感謝をもって」とは、主の御心を受け入れることだ。自分に都合
の良い結果でなく、主が良いと思われる結果でOKです、ということ
だ。その時、状況は変わらずとも、心に平安が来る。

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自分の思い通りにならないので、思い煩い、そしてどうしても自分
の思い通りになって欲しいので、又、思い煩う。自分が中心にある。
どうであれ、主は益にして下さる、最善をして下さると信じて行く
時に、心が少しづつ変えられて行く。思い煩いから守られる。