2014年11月29日(土)

「私の時は、御手の中にあります」詩篇31:15



私たちにとって偶然は一つも無い。人間的に見る偶然は、すべて神
の必然だ。ルツ記で、故郷に戻る決心をしたナオミとルツに、主の
計らいが備えられていた。帰郷が時期ピッタリに「大麦の刈り入れ
の始まった頃」だった。

生計のため、ルツが落ち穂拾いを始めたその畑が、「はからずも」
ボアズの畑であり、「丁度その時」、所有者のボアズがやって来て、
懸命に立ち働くルツが目に入った。ボアズはルツに親切にし、やが
て結婚へと導かれて行った。

「その翼の下に避け所を求めて来た」ナオミとルツへの主からの備
えであり、祝福であった。一つ一つが繋がっていて、もし、少し
「時」がずれていたなら、みわざを見る事はできなかった。神の必
然であった。

又、エステル記では、ハマンの悪巧みによって、ユダヤ民族が絶体
絶命の危機に陥った。丁度その時に、エステルが王妃の地位にいた。
エステルは王を宴会に招き、王に救いを願おうとした。丁度その前
夜、王は眠れず、年代記を読ませ、モルデカイの手柄を知った。そ
の翌日に宴会の席で、ハマンの陰謀を知らされた。

王はエステルの嘆願により、ユダヤ民族に救いの手を延べた。「私
の時は御手の中」の通り、私たちのすべての時は、主の御手の中だ。
偶然は無く、一つ一つの状況がご計画の中だ。それゆえ「あなたの
行く所どこにおいても主を認めよ」。

不満、愚痴でなく、そこに主を「認める」ことだ。その時、主が見
えて、「主はあなたの道をまっすぐにされる」私たちの成長がある。

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主の主権と支配の中で、物事は動いている。すべてに「神の時」が
あり、「神の機会」がある。神が動かれ、みわざをされる。自分の
思いと力で動かず、まず落ち着いて、信頼していよう。肉で動くと
主が見えなくなる。