2014年12月30日(火)

「求めなさい。そうすれば与えられます」ルカ11:9



祈りは学校だと言われている。少しづつ学ばせて下さる。最初は、
あれを下さい、これを下さい、主よ、あっちに行って下さい、こっ
ちに来て下さい、受験合格、商売繁盛、家内安全、五穀豊穣式祈り
だ。自分にとって都合良いもの、自分の付加価値を高めるもの、そ
れを求める。

不足面を満たしてもらい、又、付加価値を高めて、要するに自分が
安心するためだ。救われたばかりの頃は、それらにも答えて下さる
ことを経験する。今から思うと、よくわかっていなかった祈りにも
答えて下さった。最初は、主との関係が変わっただけで、後は何も
変わらないので、そのようにしか祈れない。

それを主はよくご存じで、とにかく祈りによって「主に向く」こと
を、体験させて下さった。まず「主に向く」事が大切だ。そして、
段々と主との交わりが深められて行くと、幾ら祈っても聞かれない
祈りに、気づく。答えて下さらないのでなく、答えて下さっている。
「ノー」が答えだ。何でもかんでも、欲しいものを与えて下さるの
でなく、必要なものを与えて下さることを学ぶ。

振り返ると、必要なものは必ず与えて下さったことを知る。そして、
自分の思いはあるが、主のお心はどうか、何を主は喜ばれるのか、
に思いが至る。思考パタンが変えられて行く。そして、主の御心を
求めて行く。御心を求め、約束を与えられた時に、それを信じて行
く「信仰」を求めるようになる。とにかく祈りによって、主に向い
て行こう。主は祈りにおいても、学ばせ、成長させて下さる。
-----------
親族の救いや日常の細々したこと、自分自身の底にある問題、祈り
によって今年も主に求め続けた。叶えられた答えよりも「ノー」の
答えこそが学びの時ではなかったか。もう一度振り返ってみたい。