2015年03月30日(月)

「自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」マタイ20:14 



ぶどう園で働く労務者が、早朝、9時、12時、3時、5時と順次雇
われた。早朝の者だけ1日1デナリの契約が交わされ、9時以降の
者は契約でなく「相当のもの」を出すからと。そして1日が終わっ
た時に、5時の者から順に、皆1デナリが支払われた。1デナリは
当時の1日分の給料だ。

5時の者はどんなにか驚いたろう。ほとんど後片づけのようなもの
なのに、丸々1日分貰えた。しかし早朝の者は怒りがおさまらない。
憤慨して、主人に文句をつけた。「1日中労苦と焼ける暑さを辛抱
した」と。それが同賃金とは不公平だと。しかし主人は全く不当な
事はしていない。1デナリ契約が正しく実行されている。

自分たちは辛く苦しいと言ったが、別の面から見れば、早朝からき
ちんと1日分の報酬が確約されていた。この労働が終われば、賃金
を家族に持って帰れる。家族の喜ぶ顔が浮かんだろう。又早朝から
雇われたからには強健な人々だったかも知れない。ところが5時の
人々はどうだろう。怠けていたのではなく、働きたいが、ずっと雇
って貰えなかった。身体が弱そうだったのかも知れない。

夕刻迫るがその日の糧が無い。家族はどんなに落胆するだろう。そ
の心細さ、思い煩い、不安と恐れを抱えて夕方まで過ごした。その
人々に対する主のあわれみ、慈しみ、配慮はいかばかりだろう。主
のお心はあわれみに充ち満ちたものだ。天の御国は、豊かなあわれ
みが支配するところだ。
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主のご愛と慈しみの中で過ごしている恵み慣れてしまい、不平や不
満で感謝が飛んでいないだろうか。主との交わりの中で感情にいつ
までも翻弄されず、不安定な心細さからもずっと守られてきた。