2015年04月29日(水)

「うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは・・悪い動機で願うからです」ヤコブ4:2



人間は「羨んでも手に入れる事が出来ないと、争う」とある。欲求
が満たされない時に、問題行動を起こすと。あらゆる問題行動の裏
には、「満たされない心」がある。理由のない問題行動は無い。満
たされない欲求によって、問題行動が起こり、どうしても思い通り
のものを手に入れようとして、戦い、争って行く。

手にするためには、人殺しまですると言っている。国家間の戦争も、
個人の対人関係で起こる事も、その通りだ。争いがある時、幾ら理
由づけして自分を正当化しても、その心の奥に、自分が持っていな
いものを持つ相手への羨望があると。その時に、自分の力で奪い取
るのでなく、神に拠り頼み、「祈れ」と言われている。

「手に入らないのは、あなたがたが願わないから」だと。肉で手に
入れようとしている時には、そこに神も、祈りも無い。まず、人に、
でなく、神に向かう祈りが必要だ。そして祈っても与えられない時
は、隠れた思いをすべてご存じの神に、心の内の動機を探って頂く
必要があると。その願いの動機は何だろう。自分の評判が良くなる
ため、自分が信仰的に見られたいがためだろうか。

未信者の夫が、親が、救われて欲しい事の動機は、家族がクリスチ
ャンになると、「自分が」楽になれるからだろうか。心の底にある
ものを、御霊は探り出し、軌道修正して下さる。心を正して祈らせ
て下さる。そして「すべての良い贈り物は、上から来る」、上から
の恵みを豊かに与え、満たして下さる。神にのみ望みを置く時に、
心が満たされているので、人を羨む必要が無くなる。
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人のものをうらやんだり、貪ったり、満ち足りることを忘れてしま
う。祈りを忘れれば肉の欲に引かれるばかりだ。与えられる手段は
祈りを介してにしたい。主が軌道修正してくださる。