2015年05月30日(土)

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩 むことがなく、いのちの光を持つのです」ヨハネ8:12  


ある人が、職場で、理不尽な上司に悩まされていた。嫌だという気
持ちは積もり、怒り、恨み、憎しみへと増幅して行く。段々、出社
が辛くなり、出社拒否一歩手前状態だ。どう見ても、身勝手で自分
本位な上司が悪いとしか見えず、この苦しみは、上司のせい、あん
な上司だから、自分は苦しめられているとしか思えない。

しかし職場にいても、いなくても、関係無く、心は苦しい。とうと
う苦しみに耐えかねて、主の御前に行った。心の内の悶々を、怒り
も恨みもことごとく打ち明け、祈った。御霊により心を探られた。

すると光が来て、自分の内に「苦い根が芽を出して悩まし・・」と、
苦い根がある事を示された。相手は悪いかも知れないが、自分も相
手をさばき、憎み、恨んでいる。一方的に相手が悪いとしか思えな
かったが、自分がさばき、憎み、罪を犯しているから、苦しいのだ
という事がわかった。

相手の問題ではなく、自分の問題だった。相手に隠れて、自分の罪
など全く見えなかった。しかし自分の罪として認め、悔い改めた。
その時、心が解き放たれて、あんなに苦しかった心に平安が来た。
職場にいても、家にいても、常に心に影を落とし、真っ暗な牢獄に
いるようだった。囚われの身だった。
それが御霊の光が来て、牢獄から出され、自由の身にされた。心が
救われ、まことに主が神であることを経験させられた。

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心のざらつきや、悶々を、まず祈りに持って行こう。御霊は祈りに
答えて、心の内を照らして出して下さる。心に平安の無い問題は自
分にあり、気づきを与えて下さる。思い煩いかも知れない。示しに
従おう。一歩一歩、自由に、自由にして行って下さる。