2015年07月30日(木)

「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」ヨハネ6:6


ある人が、最近、何だか見えにくいと感じていたが、特に気にして
いなかったそんな折り、コンタクトを落としてしまった。周辺を懸
命に探すが見つからない。尚も探すが、どこにも無い。祈りつつ探
すが、無い。「すべての事について感謝せよ」と言われるので、こ
の事も感謝しますと祈った。

その時、祈って、これだけ探して見つからないのだから、この事に
も何かの計画があると思えた。そこで、新しい物を買おうと思い、
眼鏡店に行った。処方してもらう中、片方のレンズを見せると、レ
ンズがひどく傷んでいた。それで見えにくかったと判明。目を傷め
るところだったと言われ、失った事に感謝した。

ある人は、神学生の時に授業料が払えず、祈りに祈り求めていた。
主は必要は必ず与えて下さるはず、与えて下さると信じ、祈りに祈
った。祈り続ける中、締切日が迫る。尚も祈り続けた。とうとう当
日になったが与えられなかった。しかしもうこれ以上祈れないほど
祈り、心はすっきりし、平安だった。正直に言おうと、次の行動に
移った。

事務局に行ったところ、驚いた事に、誰かによってすでに振り込ま
れていた。主は真実であった。私たちも、目の前に起きる一つ一つ
の事柄は、主のご計画の内だ。自分の思い通りでなくても、主のご
計画がある事を覚えよう。それを信じる時、祈りの内になすべき事
が導かれる。
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自分の計画通りには行かないとき、何故だろう、どこが悪かったの
だろうと焦るが、御心と違うのでは?と平安のうちに自分のプラン
を手放したい。執着する自分のプランから目を主に向けてみよう。