2015年12月30日(水) 「キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺か れないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありま せん」Uコリント2:10
「キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺か れないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありま せん」Uコリント2:10
人を赦せなくて、苦しんだ経験があるだろうか。赦さないことは、 自分から牢獄に入る事になる。四六時中、牢獄の中であり、その人 が目の前にいようといまいと、心はがんじがらめだ。苦しいのは相 手ではなく、まさに自分自身だ。心暗く、平安無く、悶々状態だ。 自分自身のために、人を赦すことはどうしても必要だ。人を赦すこ とは、人生の主導権を自分に取り返す事だ。なぜなら、憎んでいる 相手に、自分自身と自分の全生活をコントロールされてしまってい る。繰り返し、繰り返し嫌な相手を思うので、憎しみは更に強固に なり、モンスターになって行く。 それだけ主のことを思えたなら、どんなに良いだろう。その背後に いるサタンの思うつぼであり、サタンにほんろうされてしまってい る。赦すことは決意だ。赦す事によって、サタンを拒否し、相手が あなたの人生をコントロールする事を拒否する事になる。あなた自 身が解放される。赦したくないが、赦さない心からは何も生まれな い。 赦したくない事を、ありのまま主に告げて、主の助けを求めよう。 赦しますとの意志を向けて行く事は大切だ。まず自分を赦して下さ っている主の十字架に目を向けよう。十字架から赦しが流れ出てい る。まずあなたが赦されている事を、深く受け取る時、必ず人を赦 す事ができる。赦そうとして行く時、御霊の助けが臨む。 ・・・・・・・・・・・・・ 赦すことは、神のわざだ。意志を向けて行く時、御霊が働いて助け て下さる。赦したくない気持ちをありのまま告げて、祈って行く時 に、不思議だが、導かれて行く。超自然の働きがある。助けを求め て祈ろう。