2016年04月29日(金)

「そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました」Uコリント12:7



パウロは、第三の天にまで引き上げられるという、誰一人した事の
ない体験をした。人間には語ることを許されていない、口に出すこ
とも出来ないことばを聞いた。パウロにのみ許された、非常に特別
な体験だ。そんなパウロに、肉体に一つのとげが与えられた。それ
はサタンが打つとげを、パウロが高ぶることが無いようにと、神が
許されたものだった。

信仰生活において、最大の敵が高慢だ。肉の高慢は悔い改めること
ができるが、霊的高慢は、悔い改めることが難しい。どこまでも自
分は正しいと信じ込んでいるからだ。最も恐ろしいかも知れない。
この霊的高慢に陥らないために、そこから守られるように、パウロ
にとげが与えられた。それは神の愛だ。

パウロは余りの激痛に、これを去らせて下さるようにと三度祈った。
単なる三回でなく、全身全霊で徹底的に祈った。それほどのものだ
った。しかし、主の答えは「ノー」であり、これがある事により霊
的高慢から守られ、主に拠りすがる事ができて、更にキリストの力
におおわれると。弱さの中に常に主の臨在があり、臨在の中に生き
て行けると。

私たちも、パウロと形は違うが、とげが与えられているだろうか。
まず取り去られるよう祈る事は大切だ。パウロも祈ったからこそ、
主から答えられ、弱さの中に神の力が働くという、主の深いご計画
を知ることができた。とげにより、高ぶりから守られ、主に拠りす
がり、主の臨在の中に生きて行く者とされる。同じとげが全く違う
意味を持つものとなった。
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全て整い全力疾走できるなら、どれほど高慢になることだろう。主
の力がどのようにあらわされたかを経験するのはいつも、弱さの中
だった。主にあって弱さを誇ることができる。感謝だ。