2016年05月30日(月)

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました」創世記50:20



ヨセフは凄まじい苦難の人生だった。兄たちの妬みにより、エジプ
トに奴隷として売られた。しかしそこで主人に忠実に仕え、厚意と
信任を受けた。だがそんな時、主人の妻の悪意により投獄され囚人
の身に。えん罪だった。そこでも忠実に仕え、模範囚に。すると囚
人を委ねられ、そこでのすべての管理を任された。

そんな時、献酌官長の夢を解き明かし、パロに自分の事を話してく
れるよう頼んだ。すぐにも出られると期待したが、忘れられてしま
い、尚2年が過ぎた。やがてパロの夢を解き明かし、宰相とされる。
少し順調に行けば、どん底に、その繰り返しだった。その中で、ヨ
セフは絶望せず、落胆せず、投げやりにならず、その時、その時を、
苦しい中であるが、主に忠実に生きて行った。

それはヨセフが「摂理」を信じていたからだった。目の前の事態、
状況、境遇は、偶然ではなく、運命でもなく、サタンに振り回され
ているのでもなく、神から来ていると受け止めていた。目の前のそ
の事態に、神のご計画があり、意図があり、御心がある事を信じて
いた。だから、誰もヨセフを損なう事はできなかった。

兄たちの悪意でエジプトに売られた事は、神が命を救うために、皆
より先に、自分をエジプトへ遣わされたのだと。「兄たちが」でな
く「神が」に、視点を置き換える時、大きな神のみわざが見えて来
る。あなたのその苦しみも、そのように置き換えてみよう。
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ヨセフの生涯と変わらず、私たちの直面する問題もみな、神の摂理
の中だ。人が、環境が、自分が、といたずらに迷い苦しんでしまう
が「神が」を中心に、そこからの導きを祈っていこう。