2016年09月29日(木)

「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです」ヨハネ6:26 


       
主は、五つのパンと2匹の魚を用いて、驚くべき奇跡をされた。空
腹の大群衆が皆、満腹したのだ。それを見た群衆は、主を王として
かつぎ上げようとした。しかし主は「あなたがたがわたしを捜して
いるのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したか
ら」、群衆が主をかつぎ上げるのは、パンのためだと言われた。

主の奇跡に、神の恵みを見て、この方こそ、生ける神、主キリスト
だと信じたからでない。求めていたのは、ただただパンであり、今
後もパンが欲しい。自分の願望のために、つき従っていると。満腹
とは、自分の欲望が満たされる事であり、自己実現だ。肉の喜び、
肉の満足であって、そこに神である主や、神の恵みを見る事はない。

主は求めよと言われる。与えて下さる。しかし気をつけなければ、
私たちの祈りは、ひたすら自分の欲望を満たす手段となってしまう。
そして、願望が叶えられなければ、主のもとを去る。パンに満腹し
た群衆はそうだった。主は、そんな私たちをあわれみ、正しく導く
ために、時に、思い通りでない答えを与えられる。よく動機を探ら
せ、省みさせて下さる。

「ノー」の答えがあり、すぐに叶えられない祈りがある。その中で
心を探り、取り扱い、御心に適った者へと変え、成長させて下さる。
思い通りにならない状況は実は大きな恵みだ。必ず成長へと導かれ
る。
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高揚する御言葉を聞いたり、祈りが叶うと満たされたように思い、
耳の痛い御言葉やノーの祈りは、反発もしないが静かに受け流す。
そんな信仰生活に慣れていないだろうか。成長していきたい。