2016年12月30日(金)

「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません」ガラテヤ5:18


有名な放蕩息子の箇所で、弟息子は、父親から財産の生前贈与を受
けて、遠国に行き、放蕩三昧の挙げ句、全財産を浪費し、しかし父
親のもとに立ち返ることができた。心身ボロボロの自分を怒らず、
責めず、裁かず、抱きしめてくれた父親に、無条件の愛がわかった。

しかしこの時、同時に兄息子の心の状態もあらわになった。普段は
心の底に隠れて、外側に表れることのなかった本音だった。兄には、
遊びほうけて、好き勝手をして戻る弟が赦せなかった。怒り心頭だ
った。それを迎え入れる父親にも怒りは向いた。「兄はおこって、
家に入ろうともしなかった」。

行方不明になっていた弟が無事に帰ってきたのだが、そこにあわれ
みの気持ちは全く無かった。自分は、はめをはずした事もなく、こ
れだけ辛い目をして日々重労働しているのに、腹が立つばかりだ。
私たちもどうだろう。御霊によらず、自分の力で懸命に汗水流して
いる時には、していない人を見ると、必ず腹を立てる。自分を正当
化して、裁く。恵みの下にいないからだ。

そして兄息子は父の愛がわからない。私たちも自分の力で生きてい
る時は、神の愛がわからない。頑な、赦せない思い、怒り・・こう
いうものに心が支配されている時は、御前に静まろう。御霊の支配
の中に、神の愛に、導き返して下さる。「いつも一緒にいる、私の
ものは全部お前のもの」と兄息子に大きな父の愛が注がれている。
恵みの下で、安らごう。主の愛がいかばかりかを知って行ける。
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責めず、裁かず抱きしめてくれる御父は誰にとっても変わらないの
に、自分に頼り人を裁いていく兄が自分の中にもいる。そのような
不信仰な者を愛し善しとして下さる御父にいつも感謝し賛美してい
たい。