2017年04月29日(土)

「すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した」ヨ ハネ5:9



もし人が病気であっても、それが普通であり、正常な状態だと思っ
ているなら、どうだろう。いつまでたってもそのままで、病気が治
ることはない。主はこの病人に「よくなりたいか」と言われた。つ
まり現状は「よくない」という事で、病気が治るには、まず自分が
病気だと認めなくてはならない。

私達も癒されるためには、自分が病んでいると認識することが重要
だ。自分の非に目を向けないで、相手ばかり責めているなら、いつ
までたっても、その状態は改善されず、同じ事の繰り返しのままだ。
何の成長も無い。相手どうこうの問題でなく、それに反応して相手
を攻撃し、責める「自分の問題」だと気づき、認めて行く時、初め
て自分が変えられて行く。

この人は「池の中に私を入れてくれる人がいない」からと、人のせ
いにしていた。自分には介添人がいない、だから池に入れないので、
自分の病気は癒されないと。人に依存してしまっていた。人に依存
すると無気力になる。うまく行かないのは人が悪いから。その、人
依存こそが問題だ。

主は「起きて」と言われた、床を取り上げて、自分の足で歩けと。
人は関係なく、問題は、人に、病気に、「依存している自分」にあ
ると気づき、認める時、主のみわざはすでに始まっている。自分の
床とは何だろう。
自己憐憫、諦め、不満、不信仰、主以外のものに頼る心・・その床を
取り上げて、神を、御言葉を心底頼って歩く事を始めよう。自立と
は人や自分に頼らず、ただ神だけに頼ることだ、

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言い訳をして、自分を正当化している限り、ずっと床に伏せってい
る状態だ。主はいやして下さる。「よくなりたいか」の愛の御声に
応答して「よくなりたいです」と主に向き合おう。自分でも、状況
でも、人でもなく、主に目を向けよう。主の愛に出会う。