2017年06月29日(木)

「主は、エリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。そこでエリヤは・・その子の母親に渡した」T列王17:22

エリヤは、大飢饉の中、主に示されてツァレファテの一人の女性を
訪ねた。その女性は、夫が亡くなり子供と極貧生活をし、ひと握り
の粉と少しの油だけがあり、それで最後の食事をし、死のうとして
いた。悲惨な状況であった。そこに、突然エリヤが現われ、非常識
な、無茶な要求をした。まず、「私のためにパン菓子を作るように」
と。

そうするなら、飢饉が終わるまで、かめの粉は尽きず、そのつぼの
油は無くならないと。その瀬戸際の状況の中で、女性はエリヤの言
葉の通りにした。すると不思議が起きて、飢饉の間中、粉と油は尽
きず、息子に食べさせる事ができ、自分も養われた。飢饉のまった
だ中で、神により奇跡をもって養われた。ところがその後、息子が
重病に陥り、死んでしまった。せっかく生かされた命がなぜ?

しかし、エリヤはその息子が生き返るように、主に祈り、願った。
主は、エリヤの願いを聞き届けられた。その息子は生き返った。そ
の生き返った息子を、彼女に返した時に、彼女は、エリヤが神の人
であり、エリヤの口にある主の言葉が真実であることを、今、知っ
たと言った。それ以前は、まだよくわかっていなかったが、息子の
死を通して、神の言葉が真実であると身をもって知ったのだ。

彼女の内で、信仰が確かなものとされた。大きな試練であったが、
主と主の言葉が真実である事を、真に知る素晴らしい恵みと祝福と
された。私たちも、主からの苦しく厳しい試みがある。しかしその
中でこそ、その中だからこそ、必ず「主の言葉が真実であることを
知った」と言えるようにされる。主を新たに知る恵みにあずかれる。
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試練は神によるテストのようだ。せっかく飢饉から生かされた者を
なぜここで取られるのかと不思議な箇所だが、同じように私たちにも
ぴったりの試みを与えられる。求める者に神は生涯かけて成長させて
くださる。