2017年07月30日(日)

「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神 となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせ にするために、わたしが命じるすべての道を歩め」エレミヤ7:23


「お話しください。しもべは聞いております」とサムエルは言った。
「聞く」=「聞き従う」という事で、「しもべは聞いて、お従い
します」ということだ。逆に、主の言葉に、どうであれ従います、
との態度があったから、御声が聞こえたと言える。私たちも、聞く
態度はどうだろう。「従います」との姿勢で、御言葉を聞く時に、
神の言葉がわかる。御声が聞こえて来る。

ともすれば、一応聞いてみて、都合良ければ従うし、都合悪ければ
したくない。自分の好きな事ならするが、嫌な事ならしない。そう
なら、聞こえて来ない。また、人は聞きたい言葉だけを聞いている、
と言われているが、聞きたくない言葉には耳を閉じてしまう。そし
て聞かなかった事にしてしまう。聞きたくない言葉こそ、実は必要
な、聞かなければならない言葉だ。

主は、取り扱おうとされるのだが、こちら側で耳をふさいでしまう。
自分の願っている事だけを叶えて欲しいのであって、その他の事は
要らない。「あの相手に謝罪しなさい」「あの嫌いな人を愛しなさ
い」「この赦せない相手を赦しなさい」「あなたの時間を、労力を、
金銭を献げなさい」・・と言われたらどうだろう。

まず自分の現状を認めて、「出来ないので、助けて下さい」との祈
りから始めよう。自分に出来ない事が、神には出来る。祈り求める
なら、出来るように御霊がして下さる。従って行けるように助けて
下さる。

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聞くことは、聞くことプラス従うことだ。従うことまで含まれる。
聞くだけで満足して終わってしまうなら、結実に至らない。従う
ために、御声に耳を傾けようとする時に、御言葉が入って来る。
そこのところを自分はどうなのか、よく吟味してみよう。