2017年12月30日(土)

「そのうちのひとりは・・大声で神をほめたたえながら、引き返して 来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であ った」ルカ17:15


十人のらい病人が、主のもとに来た。遠く離れた所に立って、大声
であわれみを求めた。当時、らい病は、汚れた病気で隔離されてい
た。人々との接触は許されず「私は汚れた者です」と自分で言わな
くてはならなかった。病の上に、社会生活はできず、病気の苦しみ
と共に、更に精神的な孤独、悲しみ苦しみがあった。宗教的にも汚
れた者であった。

必死な思いで主にすがって来たであろう。「どうぞ、あわれんで下
さい」と叫んだ。主はあわれんで、彼らを癒された。すると十人の
内、一人だけが主のもとへ戻り、あとの九人は帰って来なかった。
病気が完全に治り、社会復帰できて、自由に社会生活が送れる。生
けるしかばねのようであった彼らからすれば、何と夢のような事だ
ろう。

九人は、ラッキー、良かったと、世の中へ帰ってしまった。彼らに
とっては、飛び切りのラッキーであり、幸運で偶然の事態であった。
そこに神は無かった。感謝するために戻った一人は、神への感謝と
賛美と喜びで一杯だった。そこに神を認め、神を崇めたのだ。彼だ
けが、新しい信仰の人生に入った。「あなたの信仰が、あなたを直
したのです」彼は神の愛を体験し、神の愛の中を生きて行く人生が
始まった。

何が大切なのだろう。病気が治る事だろうか。「世の終わりまでい
つもあなたと共にいる」これが真の喜びであり幸せだ。その人生へ
と招いて下さっている。苦しい時も喜びの時も、いつも主と共に生
きて行ける事が、本当の幸せだ。

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喜びの時も、悲しみの時も、苦しみの時も、主が共におられる。愛
していて下さる主と共に生きて行ける。これが私たちの最大の幸せ
だ。見える所に視点を移すや、迷路に入ってしまう。目に見えない
主にいつも目と心を向けておれるように。