2018年06月29日(金) 「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする・・これは、彼らがわたしのおきてに従って歩むかどうかを、試みるためである」出エジプト16:4
「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする・・これは、彼らがわたしのおきてに従って歩むかどうかを、試みるためである」出エジプト16:4
モーセに導かれて、出エジプトを果たしたイスラエルの民。紅海が分 かたれるという、後にも先にも無い、主の偉大な奇跡を目の当たりに した。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ」と、ど んなに歓喜であり、大きな感謝であったろう。しかし、荒野に出て3 日後に、あれだけの大きな喜びと感謝が、その舌の根の乾かぬ内に、 「水が無い」との不平不満、つぶやきに変わった。 次には食べ物が無いと、不満をモーセにぶつけた。こんな事なら、エ ジプトで死んだ方が良かったとまで言い出す。主はそれに答え、天か らマナを降らせ、夕にはうずらの大群を降らせた。このマナは1日分 だけと命じられていた。しかし従わずに朝まで残しておくと、虫がつ き腐った。朝ごとに、各自食べる分だけ集め、残ったものは、日が高 くなると熱くなり溶けた。 主は「朝ごとに」「各自」「食べる分だけ」と定められた。私たちも どうだろう。1日分だけと言われても、隠れて明日の分も、いや1週 間先までも、集めておきたい・・「もし、翌日降らなかったらどうし よう」との思いで、主を信じられなかったら、そうしてしまうだろう。 不信仰は、主に従わずに、自分の力で生きてしまう。 しかし、主は、荒野の40年間、毎日マナをもって養われた。これは自 分で生きているのでなく、主によって生かされているという事実を叩 き込もうとされた。「私は生かされている」自分で生きているのでは ない、「神があなたのことを心配して下さっている」これを信じる時 に、心配と思い煩いから解放されて行く。心の状態はどうだろう。 ------------ 試練を通って学んだ事が弱いから蓄えよう、より強くなろうではなく、 主にあって弱いときこそ強いの信仰に立てるようになりたい。荒野に は神が常に共におられた。今日も生きている神を知り歩める。