2019年01月30日(水)

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか」詩篇121:1



これは都上りの歌であり、エルサレムへ巡礼の旅に出る時のものだ。
「山に向かって目を上げる」は、これから上って行くべき、困難な
険しい山々だ。非常に切実だ「私の助けはどこから来るのか」。だ
いたいから助けが来るのだろうか。エルサレムは遙か彼方であり、
幾つもの山々が行く手を固く阻んでいるかに見える。

当時の旅は、今と全く違い、命がけだ。途中で病気になれば命にか
かわる。又、どんな災いや危険があるや知れず、無事に帰れるかど
うかもわからない。そんな中で何が助けになるのか。「私の助けは
どこから?」との問いとなり「私の助けは、天地を造られた主から
来る」と答えが来る。

ある人が大事な試験の時に、カンニングをしてしまった。大きな罪
責感となり、歩みに影を落とした。誰にも言えず、恐くて苦しくて
たまらなかった。悩み苦しみの末、その事をありのまま主のもとに、
祈りに持って行った。「私の助けはどこから来るのだろうか」自分
の心にピタリと重なった。「私の助けは天地を造られた主から来る」、
主の御声だった。しっかり受け止めて下さった、主の愛をひしひし
と感じた。

御前に心から悔い改めた。苦しみが消えて、安堵と平安で満たされ
た。主に導かれるまま対処して行けた。今、何かの問題で悩んでい
るだろうか。その問題は目の前に立ちふさがる山のようだろうか。
しかしその助けは、天地を造られた主から来る!ありのままで主の
もとへ行き、主に告げよう。解決へと導いて下さる。
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苦難の中で助けを求める者や、罪を悔い改める者を主は決して見捨
てられない。これこそが私たちの力の源だ。罪を赦し最後まで守っ
ていて下さる。力を受け、新たな一歩をまた踏み出せる。