2019年02月27日(水)

「サムエルは言った。『見よ。主がお選びになったこの人を。民のうちだれも、この人に並ぶ者はいない』民はみな、喜び叫んで、『王さま。ばんざい』と言った」Tサムエル10:24



主が王であったイスラエルで、民は他国のように、自分たちも人間
の王を求めた。周囲に敵の脅威もあり、戦いにおいても強いリーダ
ーを欲した。しかし主はそれがどういう事かを告げ、警告された。
王は支配し、息子や娘を取り、畑を搾取し、王の奴隷となると。だ
がどうしても民は王が欲しいと。

そこで主は、サウルを王として与えられた。王が選ばれたその時、
サウルは荷物の間に隠れた。「私は部族のうちの最も小さいベニヤ
ミン人・・つまらないもの、どうしてこのような事を言われるのか」
とサウルは、自分は小さな者であるのに、王などと、大勢の民を見
た時に尻込みした。

主は小さな者を用いられる。その人の力は問題ではない。主が霊を
注ぎ、力を与えられるからだ。「主の霊があなたに激しく下ると、
あなたも彼らと共に預言して。あなたは新しい人に変えられる」
「手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられる」

御霊に心を支配される時、主の思いが自分の思いとなる。主の願い
が自分の願いとされる。だから何かをする時、御心にかなったもの
となる。残念ながらサウルは王になると高慢になってしまった。主
は小さな者、無力な者に、主の霊と力を満たして用いて下さる。

主に頼り、従うなら、能力も知恵も与えて下さる。今、もし何かの
示しが与えられているなら、その示しに従おう。主がお入り用であ
り、あなたを用いて、栄光を現して下さる。
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主の思いを自分の思いとして歩むとき、主は全てのことを助けてく
ださる。日々の生活は小さな選択の繰り返しだと覚えたい。尻込み
をする自分から踏み出そう。