2019年04月29日(月)

「その子どもの手を取って『タリタ、クミ』と言われた・・すると少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた」マルコ5:41



ヤイロの娘が危篤に陥った。どんな医者でもだめだった。主なら必
ず癒して下さる、そう信じたので、ヤイロは遠距離を急ぎやって来
た。主にひれ伏し必死に願った。娘が死にかけているので来て欲し
いと。主は共に出かけられた。一刻をも争う。心は焦る。そんな時
に妨げが入った。長血の女性が癒しを求めて来たのだ。

主は、その女性を受け止め、対応され、手間取ることになる。どん
どん時が過ぎる。ヤイロは気が急いた事だろう。そんな最中に、決
定的な事態が起きた。家から人が来て、娘は亡くなったと告げた。
主に来て貰う必要はないと。絶望的な状況だ。死んでしまったのだ。
病気なら治るが、死だけはどうにも出来ない。何もかもが決定的に
断ち切られてしまう。

しかし主は「その話のことばをそばで聞いて」とあり、別訳では
「その話している言葉を聞き流して」「注意を払わず」「無視して」
と。主の言葉をかけられた「恐れないで、ただ信じていなさい」。
目に見える所、人の言葉は「亡くなった」「先生を煩わすことはな
い」であり、主の言葉は「恐れないで、ただ信じていなさい」だ。

聞き流す言葉と、聞くべき言葉がある。そしてヤイロの娘は、死を
くつがえされ、命を与えられた。今、絶望的状況だろうか。目の前
の状況に飲み込まれるのでなく、主の言葉を聞こう。「恐れないで、
ただ信じていなさい」、必ず事態を御心へと導かれる。
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御言葉を信じて待つ間にも、恐れや疑いが猛烈に襲ってくる。だか
らこそ、恐れないでと主は言われる。待ち望んでいる祈りは既に聞
かれている。聞くべき主のみ言葉だけを受け取り、希望をもって、
ただ信じていよう。