2019年09月29日(日)

「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい・・あなた がたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」Tペテロ5:6


主は「何も思い煩うな」と言われている。「何も」いっさいがっさ
い、思い煩わなくてよいと。主に委ねよと。何という事だろう。そ
れは主があなたの事を心配して下さるからと。目の前の心悩ませら
れている、まさにその問題も心配無用、主に委ねよと。しかしどう
だろう。主の言葉にかかわらず、あれもこれも思い煩ってしまうの
が現実だろうか。

思い煩いはどこから来るのか。それは、目の前の事態は自分で何と
かしなくては、又、自分で対処できると、思っているところから来
る。そのため、自分の肩に、すべての荷がかかって来るので、重く
苦しくてたまらない。思い通りに事態が進まないと、どんより暗く
思い煩う事になる。

そして思い煩っている時は、主が飛んでいる。主がいない。問題と
自分しかない。問題に飲み込まれているので、心は非常に重苦しい。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」。一つ一
つ神に渡してしまうようにと。その前節に「あなたがたは、神の力
強い御手の下にへりくだれ」とある。

「神の力強い御手」、思い煩っている時はどうだろう。「力強い神
の御手」が全く見えない。神を認めていない。どんな時も、神の力
強い御手により守られている。へりくだるとは、目の前の状況に主
を認める事だ。そして主に拠り頼む事D。御手を認めない事は高ぶ
っていることになる。問題が、どうしても委ねられないところにあ
るなら、まずそのまま主に告げて祈ろう。人に出来ない事が、神に
は出来る。平安の道筋へと導いて下さる。

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委ねられないのは、自分が握って放さないから。自分が握っていな
いと、何もかもがだめになると思う。だから放せない。主を信じる
事ができない。まず主はそのありのままを愛し、受け止めて下さっ
ている。主にそのままを祈り、助けを求めよう。委ねることができ
るよう助けて下さる。