2019年10月30日(水)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17



ある父親が仕事人間で、家庭を全く顧みる事が無かった。すべて妻
任せで、早朝出勤に深夜帰宅、子供と接する時間など全く無かった。
自分は外で仕事をし家族を養っているのだから、家庭の事はすべて
妻の仕事と、当然のように思っていた。又、仕事上の野心も事実で、
とにかく業績を上げたい一心で、昇進も目指していた。

そんな時、子供が警察沙汰を起こした。衝撃だった。子供は妻任せ
で、実際子供の心の事など考えた事も無かった。荒んでいた事など
全く気づく事もなかった。妻も一人で苦しみを何もかもを背負い、
一番いて欲しい時に、夫はおらず、孤独で、寂しさと辛さの中にい
た。家族がバラバラで方向性も見失っていた。

父親は厳しい現実を前に、初めて心打ち砕かれ、くずおれた。家長
として、全く子供に関わって来なかった自らの罪を、心から主の前
に悔い改めた。罪は決して甘くはなく、苦しく辛い刈り取りをして
行った。妻にも詫び、子供が迷惑をかけた各方面への謝罪に回り、
償いをした。数年間の苦しみは並大抵のものでなく、何より子供の
回復をひたすら祈りに祈り続けた。

しかしそれが出来たのは、心の底に響いて来た「子よ。あなたの罪
は赦されました」との何にも代えられ無い深い安堵感、平安のゆえ
であった。罪赦されるという、大きな恵みを味わい知らされた。
そして主のあわれみは尽きず、涙ながらの切なる祈りは聞かれ、子
供は立ち直る事ができた。
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行き詰まり無力を知るときは感謝だ。自分で頑張れている時には見
えなかったことが見えて来る。本当に自分には何も無い。主のあわ
れみと尽きない恵みに生かされている。