2020年03月30日(月)

「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただ繰り返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです」マタイ6:7



続いて「御父は、お願いする先に必要なものをすでにご存じ」とあ
る。では、すでにご存じなら祈らなくても良いのではと思いそうだ
が、そうではない。これは偶像への祈りのように、同じ言葉を延々
繰り返し、言葉数の多さ、祈る時間の量、そういう問題ではないと
の指摘だ。

言葉数が多い者勝ちなのではないし、言葉数の多い順に聞かれるの
ではない。だから単なる繰り返しは益無く、無駄だと。この世の偶
像と違い、御父はすでに必要を何もかもをご存じなので、知らない
相手に対するごとく、くどくど説明する必要はない。しかし主は続
いて「だから祈りなさい」と言われた。ご存じだから祈る必要がな
いのでなく「祈りなさい」と。

偶像と違い、御父とは信頼関係にあり、愛の関係であるからだ、祈
りは御父との交わりだ。子供に「一生涯すべての必要を完全に保障
するから、いっさい語るな」と言う親などいない。親は子供の話す
言葉を喜び、いつも対話がしたい。親は子供を愛しているので、交
わりは喜びで楽しみであるからだ。御父は、私たちとの交わりを喜
ばれる。

又、御父は必要をご存じだが、私たちが自分で自分を知らない。真
の必要をわかっておらず、的はずれに求めていて、気づかない。自
分の栄光、欲のために求めていながら、わかっていない。主はそれ
らを祈りの中で軌道修正し、導いて下さる。祈りの中で、自分自身
が変えられて行く。
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自分の願いだけを一方的に語ってしまいがちだが、主が既に備えて
くださっている最善のものがある。私にとっての最善に気づけるよ
うに一つ一つの祈りを主との密な交わりの時として大切にしたい。