2020年06月29日(月) 「新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられコロサイ3:10
「新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられコロサイ3:10
目の前に、どれだけ努力しても、うまく行かない、難しい対人関係 があるだろうか。うまく対処できず、関係はこじれるばかりだ。 心が辛く苦しくなる。相手が、何とか考えてくれたらと思う。「相 手を変えて下さい」「苦しいこの環境を変えて下さい」と祈る。ど うしても相手の欠点が見えてしまい、相手のここ、あそこの部分が 変わってくれたらと思う。相手を責めている自分がいる。 しかし祈って祈って、幾ら祈っても、相手は変わらず、状況も変わ らず、自分も変わらない。何も変わらない。辛さは続くばかりだ。 もうどうしていいのかわからない。又、ある時は余りに苦しくて、 職場を変わる。苦しい状況から解放されて、ほっとするのだが、 しかし次の職場でも同じ事が起きる。又、目の前に難しい相手が出 て来る。以前と同じ光景だ。 祈りの中で、もしかして、自分への取り扱い?という事に初めて思 いが至る。何のすべも無くなり、主のもとへ行く時、変わるべきは 自分だと気づかせられる。あれだけ祈っても何も動かなかったのに、 「私を変えて下さい」と祈るなら、その祈りは答えられて行く。そ して自分自身が変えられて行く。確かに変えられ、ますます新しく されて行く。 自分自身が変えらるので、次に、同じ状況が来たとしても、乗り越 えて行ける。私たちを、成長させて下さる。又、もし主の御心なら、 環境をも変えて下さる。とにかく主の御心は、私たちが主の似姿へ と変えられて行く事だ。 -------- 脱ぎ捨てるべき古い人、その行いは何だろう。苦しい悩みの時に主 に祈れることは救いだ。主の聖さや愛に触れて癒され、ゆっくりと 自分自身の姿を見せてくださる。