2020年08月30日(日)

「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフはいなくなっ た。シメオンもいなくなった・・ベニヤミンをも取ろうとしている」 創世記42:36


ヤコブ一族は厳しい飢饉の中、ヨセフのいるエジプトの穀物で命を
つないだ。しかし尚も飢饉はひどく、その穀物も食べ尽くしてしま
った。そこで、再度、食糧を買って来るよう子供たちに言い渡した。
しかしユダは、弟ベニヤミンが一緒でないと、来てはならないと言
われていると。ユダは、弟を一緒に行かせてくれるよう切に頼む。

でなければ、皆が餓死してしまうと。自分が必ず責任負うからと。
もう瀬戸際であり、とうとうヤコブはベニヤミンを連れて行くこと
を許した。「私も、失うときには、失うのだ」と決心した。ヤコブ
にはベニヤミンが宝であり命だった。ヤコブが溺愛していたヨセフ
は、兄弟たちの妬みを買い、隊商に売られ、エジプトへ。

兄たちは、父には獣にかみ殺されたと思わせた。幾日も泣き続け、
父の嘆き悲しみは尽きず、その愛情はベニヤミンへと向かった。神
より愛するものがあると、それは執着となり、偶像となってしまう。
ベニヤミンへは執着愛となっていた。

これらの背景と状況は、主がヤコブにベニヤミンを明け渡すよう求
められたものであり、主の取り扱いであった。ヤコブが大切に固く
握り締めていたものだった。絶体絶命の状況でヤコブは主に明け渡
す事ができた。するとベニヤミンもシメオンも、ましてや何と失っ
たと思っていた、ヨセフまでもが戻って来た。

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ヤコブは、失う時には、失うのだと覚悟を決めた。主が、状況を通
して、ヤコブの大切な宝であるベニヤミンを、委ねるようにと導か
れた。絶対に放したくないベニヤミンだった。しかし手放した時に、
思いも寄らない、思いを越えた、大きな祝福となって返された。