2021年12月30日(木)

「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりして いるのは、知恵のないことなのです」Uコリント10:12



多くの人は、自分に無いものを求めていると言われている。「ああ
であれば〜、こうであれば〜」「自分も〜のようであれば」と。
違う境遇や、違う能力や性格を求める。しかしそれなら現実の自分
を否定する事になってしまう。美しい声が欲しい、スポーツ選手に
なりたい、足の裏は嫌で、華やかな目や口になりたい・・。

一生、他を羨んで生きるなら、満足する事が一度も無い人生になっ
てしまう。バラはバラ、百合は百合のそれぞれの良さがあり、特質
があり比較が出来ない。意味を無さない。頭ではよくわかるのだ
が、
頭だけだろうか。信仰によって受け取る必要がある。人と比較し、
自分に無いもので、人を羨んでいるなら、まずそれを認めよう。
思っていない振りをせず、自分の羨望や妬みを主の前に認めよう。

それが大切だ。そこから新しい歩みが始まる。そしてそれなくして
始まらない。自分が、誰それのようになろうとするのでなく、主
が、
唯一無二の者として、創造して下さった、そこで主を認め、自分を
認めよう。主が創造されたという事は、代わりがない、かけがえが
ないという事だ。人のようになるという意味では、決して自分を変
える必要はない。

だが、更に主に近づけられ、キリストのかたちに変えられて行くと
いう意味では、日々に造り変えられる必要がある。主は、満足を下
さる。主にあって生きる時、満足できる。もし心に何かが欠けてい
るなら、主にありのままを告げて、心を探って頂こう。主によって
満ち足りる心へと導いて下さる。
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人のもので自分を量るという知恵のない時をどれ程、費やしただろ
う。主に出会い、決して揺らぐことのない主と、主が与えてくださ
る知恵で生きていける。主が解放してくださる。