2022年04月29日(金)

「・・姉の名はレア、妹の名はラケルであった。レアの目は弱々し かったが、ラケルは姿も顔だちも美しかった。ヤコブはラケルを愛 していた」創世記29:17



レアとラケルは姉妹で、姉のレアは、ずっと妹ラケルと比較し、嫉
妬に生きてきただろう。ヤコブはラケルを愛していたが、父親によ
り姉が先と、レアと結婚させられた。そのヤコブとの結婚によって、
レアはますます劣等感が強くなった。ヤコブの愛をどれほど渇望し
ても得られない。

ヤコブの愛はラケルにあった。主は、そんなレアを憐れまれた。そ
れでレアの胎を開かれた。「ルベン」と名づけ、主が悩みをご覧に
なったと言った。赤子誕生で、夫の愛が自分に向くに違いないと思
った。しかしそうはならなかった。第二子のシメオン誕生は「主は
私が嫌われいるのを聞かれて」とレアが主に祈った結果だった。

そして次々と産み、最後はユダ「主をほめたたえよう」と名づけた。
どうにもならない苦しみの中で、主を見上げるように、レアは変え
られて行った。自分の容姿を妹と比較して劣等感に悩み、夫はラケ
ルを愛し、自分には気持ちが無い事で苦しみ抜いた。しかし主を見
上げた時に、変わった。

レアの奴隷が男児を産んだ時は、アシュルと名づけ、「なんと幸せ
なこと。女たちは、私を幸せ者と呼ぶでしょう」と言った。私たち
は何を学べるだろう。レアはずっと劣等感で生きて来て、夫の愛は
妹にあり、どんなにあがいても得られない境遇にいた。満たされな
い、辛い、悲しく寂しい状況だ。

その中でレアは主に向き、主の愛と憐れみに目を向けて行った。主
は、レアの不幸な境遇により、ご自身に近づけられた。私たちも、
悩みや問題を通してこそ、主に近づけられ、主の愛を深く知って行
ける。
--------------
辛い現実の中で、確かに祈りに応えてくださる主のご臨在は、現実
を飛び超えて大きな感謝に溢れる。目の前にある悲しみ苦しみを主
に知っていたこう。