2022年05月30日(月)

「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへ の水がわき出ます」ヨハネ4:14



サマリヤの女性が、カンカン照りの暑い昼間に井戸水を汲みに来て
いた。普通、涼しい夕方に、生活用水のために井戸に集まった。談
笑も楽しんだ。だが彼女は人目を避けての事だった。その時、主
が、
彼女に「水を下さい」と求められた。

彼女は驚いたのだが、当時はユダヤの男性が、サマリヤの女性に声
をかける習慣が無かった。サマリヤ人とユダヤ人は敵対関係にあっ
た。そして主は、井戸の水はまた渇くが、ご自身こそが、生ける水
を与え、決して渇く事の無い、心の満たしを与える事ができると言
われた。

箴言に「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」とあり、人は、
誰しも心の奥で、愛し、愛される事を求める。しかし人の愛は条件
付きであり、又、人の心は移ろい変わる。この女性は、男性の愛こ
そが、心を満たしてくれるものと思っていた。それにより幸せにな
れるのだと。

そのため5度の結婚と離婚を繰り返し、今は同棲中だった。だが、
そこに満たしは決して無かった。この世の水は飲んでも〃、また渇
くし、ますます渇く。私たちも、主以外のものを求めて、心を満た
そうとしていないだろうか。それならますます心は渇くばかりだ。

女性は、心の奥に強い渇きがあり、満たされずに、虚無の中にい
た。
主は、彼女のその心を知り、わざわざ彼女に会うために、サマリヤ
に立ち寄られた。私たちの心の状態を主はすべてご存じだ。虚しさ
があるなら、主こそが、主のみが満たして下さる。主に向き、主に
求めよう。
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この世のものは必ずなくなってしまう。それを拠り所にしているか
ら失望と落胆の連続ではないのか。主がくださる湧き出る泉はたま
しいを生き返らせてくれる。主に求めよう。