2022年06月29日(水)

「主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べるものを 差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか」 マタイ25:38



よく知られている「靴屋のマルチン」という物語がある。ある日、
主がマルチンに現われ「明日、お前のところに行く」と言われた。
マルチンはそれはもう大喜びで、翌朝働きつつも、窓の外をじっと
注視していた。外は厳寒で、雪かきの老人がいた。彼はその老人を
暖かい家に招き入れ、お茶をふるまった。

次に、赤ん坊を抱いた貧しい母親を見た。マルチンは急ぎ、その母
子を家に入れ、暖かいショールを与えた。マルチンは、主はまだか
〃と待っていると、少年が老婆のかごからリンゴを盗むのが見え
た。
マルチンは懸命に執り成し、少年と一緒に謝った。

やがて夜となり、ついに主に会えなかった、マルチンはひどく落胆
した。その時、主が「今日お前のところへ行ったが、わかったか」
と言われ、主の姿が、老人、母親、少年に変わったのだった。そし
て助けが必要な人に、助けを与えるなら、それは、主にしたのだと
言われた。

大きな事でなくとも、ほんのささいな事でも、必要な人に与えるな
ら、主にしたと、主は豊かに報いて下さる。又、小さい者とは、普
段余り気にかけない者の事だ。それなら家族はどうだろう。他人に
は気を遣い、礼儀正しく、親切で、良い人になれる。

が、家族は余りにも当たり前すぎて、無遠慮で、甘えが出て、わが
ままになるだろうか。一番身近な、家族こそをまず大切にしなけれ
ばならない。小さな者の一人にしたのは、主に対してした事だと言
われる。こんなに嬉しい事は無い。御霊に導かれて、対応して行こ
う。
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困ったときに助けられ「ああ、主よ感謝します」と何度言っただろ
う。主が遣わしてくれた助けだった。周囲に心を向けていこう。御
霊に導かれ、主に用いてもらおう。