2022年07月30日(土)

その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつ がいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのももの つがいがはずれた」創世記32:25



ヤコブは、兄エサウと父をだまして、祝福を奪い取った。欲しいも
のを手に入れる、ずる賢い人物であった。だが主は、そんな自我の
強いヤコブを愛しておられた。その自己中心を砕くために、主はヤ
コブを訓練された。ヤコブを、更に狡猾な伯父ラバンのもとに置か
れた。ヤコブを砕くためであった。

私たちの前に置かれる対人関係は、主の配剤だ。難しい、苦しい対
人関係を通して、私たちを砕かれ、練られる。兄をだましたヤコブ
は、ラバンにだまされる事になる。蒔いたものは刈り取る事になる。
ラケルとの結婚のために7年働いたが、レアを与えられ、更に7年
働く事になる。辛く苦しい厳しい日々であった。

ラバンのもとで多くの訓練を受ける。やがて神の時が来て、故郷に
帰るように示される。神が定められたなら、ラバンも止める事が出
来ない。帰郷に際し、兄の怒りを恐れて足がすくみ、恐怖で震えた。
皆殺しにされるかも知れない。恐怖がどうにもならない。

ヤボクの渡しで神の取り扱いを受ける。御使いと格闘し、もものつ
がいをはずされた。一番力のあるその所を砕かれた。もう自力では
歩けず、杖にすがりついた。つまり、神に頼らなければ、一歩も歩
めない。肉の知恵と力を駆使して生きて来たヤコブが、神無くして
一歩も歩めないようにされた。

今、私たちも取り扱いの中にあるなら、神の恵みによって生きる者
に変えられ、大きな祝福に入れられる。

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肉はどこまでも狡猾だ。主が取り扱って下さらなければ、自分が自
分に欺かれてしまう。主は、キリストのかたちに変えようと、目の
前に様々な事柄を置いて、砕いて下さる。自分視点でなく、神視点
で見る時、あの事も、この事も、と気づかせて下さる。