2022年10月30日(日) 「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにし てはならない」ヘブル4:7
「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにし てはならない」ヘブル4:7
主は、モーセによりイスラエルの民に、乳と蜜の流れる地へ導くと 約束された。民はその約束を何度も聞いた。しかし残念な事に、聞 いた言葉が信仰によって結びつけられず、民にとって益にならなか った。せっかく苦難のエジプトを出たのに、カナンの偵察から斥候 たちが戻った時に、不信仰に陥った。 主が与えると約束されているのに、敵に滅ぼされるから上って行け ないと。その上、エジプトで死んでいたらよかった、この荒野で死 んだ方がましだと、泣き明かした。出エジプトを果たしたのに、不 信仰のゆえに、約束の地カナンに入れなかった。主の素晴らしい約 束も、信仰に結びつけなければ、何の益もない事になる。 私たちはどうだろう。どのように御言葉を聞いているだろう。漠然 とぼんやり聞いているだろうか。右から左へ流れているだろうか。 種蒔きのたとえで、そうであれば、サタンが御言葉を奪い取ってし まうと言っている。御言葉の種が心に植わらなければ、実を結びよ うがない。それなら、聞かなかった事と同じになってしまう。 又、聞いた御言葉と目に見える状況が相反する場合はどうだろう。 民は目に見える所に怯えて、不信仰に陥り、従えなかった。ペテロ は、主から「深みにこぎ出して、魚をとれ」と言われた時に、状況 的には漁は不可能で、常識的にも魚が取れるなど、有り得ない状況 だったが「でも、おことばどおり、網をおろしてみましょう」と主 の言葉の方に従った。すると大漁だった。 今、御言葉を示されているなら、信仰に結びつけて、一歩踏み出し 従おう。 ・・・・・・・・・・・・ 信仰は、具体的な行動となって現れる。主の導きが来た時に、一歩 従ってみよう。意志を向けた時に、力は主から来る。主の助けが臨 む。従って良かったと、平安に包まれる。従って行く時に、自分が 変えられ、信仰に成長して行ける。