2023年06月29日(木)

「ペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと 言います。」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうし て、彼は出て行って、激しく泣いた」マタイ26:75



ペテロは主を裏切り、イスカリオテのユダも主を裏切った。しかも
ペテロは三度も主を否み、更に呪いをかけてまで否んだ。どちらも
同じく裏切ったのだが、しかしその最後が天と地ほどに違った。ペ
テロは悔い改め、主の赦しを受け取った。主により回復させられ、
主の昇天後、諸教会のリーダーとして大活躍した。

一方、ユダは、主を銀貨30枚で売り、だが「罪のない人の血を売っ
た」と後悔し、祭司長、長老たちのもとへ行った。その銀貨を返し
たのだが、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ」と言
われ、首をつった。悲惨な最期だった。ペテロとユダ、何と違って
しまった事だろう。ペテロは裏切った時に、主に向き、主の言葉に
向いた。

その時、主が語られていた言葉に思い当たり、号泣した。マリヤの
主のご遺体が無いとの知らせに、走って墓まで行った。ガリヤラへ
行くようにとの指示に、合わせる顔もない中、しかし主の言葉に従
い、ガリラヤへ行った。ユダは後悔した時に、主ではなく、律法学
者のもとへ行った。そしてどこまでも主を求めず、主に頼らず、自
分で決着をつけてしまった。

「自分で始末することだ」これは悪魔の攻撃であり、誘惑だ。私た
ちにも来る。自分で何とかしなければ・・。失敗した時に、自分
で、自分の力で・・。その時、担いきれない重圧に押しつぶされ、
絶望感に襲われる。そうでなく「わたしのところに来なさい」と絶
えず招いて下さる主もとへ、何があっても、まず行こう。平安の道
筋へと導いて下さる。
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失敗し絶望におちいっても主に向かいさえすれば望みがある。悔い
改めてもう一度主に明け渡し従えるからだ。失敗してもまだ自分で
何とかしようとするなら悔いるだけで絶望だ。信仰に向かおう。