2024年02月28日(水) 「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女 よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫の ある女の子どもよりも多いからだ」イザヤ54:1
「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女 よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫の ある女の子どもよりも多いからだ」イザヤ54:1
ある人が牧会していた教会で、問題が起きて、皆の意見が不一致 であり、人々が対立し、騒然となった。自分の力不足のせいと、 自らを責めた。苦しい悶々の日々であった。そんな中、信頼を置い ていた人物が去り、大きな打撃を受けた。落ち込みの日々であっ た。 それに続いて去る人々も出て、問題に次ぐ問題で、心労で体調を崩 してしまった。なすすべなく、まさに窮地であった。意気消沈し、 立ち上がる気力も無かった。どうする事もできず、何をどうしてよ いかもわからなかった。ぼうっ〜と日を過ごしていた中、心に語り かけて来る主の御声を聞いた。「子を産まない不妊の女よ。喜び歌 え。喜びの歌声をあげて叫べ」紛れもなく主からの語りかけだっ た。 子を産まない不妊の女は、まさに自分であった。しかし、「喜び歌 え」と言われる。「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの 幕を惜しみなく張り伸ばし・・あなたは右と左にふえ拡がり」主から の御声を聞いた時、状況と自分にしか向いていない目が、ふと主に 向いた。「喜びの歌声をあげて叫べ」視点が変えられた。 打ち沈んだ、無気力な心に、主を見上げる力が与えられた。ふっと 顔を上げることができた。御言葉を心に反すうした。「わたしがあ なたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」主の言葉 には霊がありいのちがある。私たちがどんな状態であれ、立ち上が らせることができる。主を仰ごう。新しい力が与えられる。 ------------ たった一言の御言葉が心に触れるとき光が差し込む。主からの慰め だと自分を祝福してくださる主を感じて立ち上がれる。御言葉は霊 であり今を生きていくいのちだ。