2024年03月30日(土)

「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。 主は私の祈りを受け入れられた。」詩編6:8



ダビデはこの時、命を狙われて、敵に追われていた。彼はサウル王
から執念深く妬まれ、妬みは憎しみに増幅、王の軍隊から殺害のた
めにつけ回されていた。絶えず死と隣り合わせで、いつ殺されるか
もしれない状況で、どんなに不安と恐怖であったろう。ダビデは主
に愛され、主のみ心に適った人であった。

だが、非常に辛く苦しい経験を通っている。クリスチャンになると
いう事は、何の問題も無くなる事ではない。生涯、平穏無事で安泰
ということではない。ダビデは敵だけでなく、実の息子からも狙わ
れ、更に病にも陥る。四方八方、悩みと問題ばかりの窮地だ。何が
どうなっているのか、ダビデは疲れ果て、弱り果ててしまい、もう
泣くしかなかった。

嘆きで〃、辛くて泣いた。その正直な気持ちを、思いを、ありのま
ま主に告げている。ダビデの素晴らしいところは、苦しみ、悩み、
嘆き、悲しみ、落ち込むが、絶えず「主に向いて」いるところだ。
それを主に向かって訴えている。苦しい中で祈り続けている。「主
は私の泣く声を聞かれた」「切なる願いを聞かれた」「主は私の祈
りを受け入れられる」。

どうにもできずに、泣くしかないような状況、その中で、主は涙を
見ていて下さる。受け止めて、祈りに答えて下さる。私たちも、苦
み悩みの時、主に向き続けよう。ともすると問題を見、自分を見る
ばかりとなる。主に訴えよう。主は受け取り、状況は変わらなくと
も、まず心を平安にして下さる。大事な事はどんな時も、主に向き
続ける事だ。

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泣くしかない時は、ダビデのように、主の御前で泣いて、泣いて、
思い切り泣いたらよい。泣く声を聞いて下さる主だ。そして苦しみ
を、思いの丈を主に吐き出し、気持ちを聞いていただき、願いを告
げよう。しっかり受け止め、御心へと導いて下さる。