2024年07月30日(火) 「 あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が 口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」 箴言27:5
「 あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が 口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」 箴言27:5
人は誰しも、必ず欠点はあるのだが、他人から自分の欠点や、それ に関する事を指摘されたら、どうだろう。ムッと来るだろうか。内 心カチンと来て、怒りがわく時などは、まさにその指摘が的を射て いるからだろうか。当たっているので反応している。わかってい て、触れられたくない所だ。自我にぶつかるので、不機嫌になった り、又、相手に食ってかかったり、相手を攻撃する行動に出る。 まさに、認めたくない、固い部分がある。痛いけれど、逃げずに、 そこにしっかり目を留めよう。何度も同じ事が起きているはずだ。 主は、人を通して教え、警告して下さる。主からの警告だ。その指 摘が、自分の内側の何に触れるのか、心探ろう。御霊の光で探って 頂こう。プライド、体面、虚栄心・・だろうか。でなければ、サタン に足場を与えてしまう。 自分の弱さをはっきりと認め、それを主の御前に置いているなら、 人から言われても、自分が認めているので動揺がない。ある人は、 親しい友人が間違いを指摘してくれた。その友人も、祈りに祈った 上の事で、御霊に示されたゆえだった。しかし激怒してしまった。 それは急所を突いていて、余りにも痛く、受け止め難く、けんかを 吹っかける形になって別れた。 怒りがおさまらなかったが、しかし時間と共に冷静になり、よくよ く考えてみた。言われる通りだった。自分が間違っていた。心から 主に悔い改め、すぐに相手に電話し、詫びて、言いにくい事を言っ てくれた、主に在る愛に心から感謝した。 -------------- 真実だから痛いのだろうか。主の前に謙遜になり御霊の導きに従い たい。薄々気づいている変わらなければならない部分なら認めて、 成長したい。大きな祝福を逃さないよう学ぼう。