2025年01月30日(木) 「あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。 パリサイ人ではありません」ルカ18:14
「あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。 パリサイ人ではありません」ルカ18:14
パリサイ人と取税人が宮で祈った。パリサイ人は、自分は罪人のよ うでなく、ことにこの取税人のようでない事を感謝した。ゆする者、 不正な者、姦淫する者でなくて感謝だと。そして律法を守り、善行 をしていると。週に2度断食をし、すべての収入の十分の一を忠実 に献げていると。そのパリサイ人は自分を義人と自任し、他の人々 を見下していた。 彼は細心の注意を払い、律法を守っていた。見たところ立派な行な いをしていた。しかし遊女や取税人を、見下し、軽蔑していた。外 側、正しい事を行っていても、心の中で、罪人を裁き、見下し、赦 せないなら、「この人が、義と認められて家に帰りました。パリサ イ人ではありません」との通りで、自分を義人だと自任していたが、 主からは義と認められなかった。 他の箇所に、資産家である青年が出て来る。主のもとに来て、戒め について「そのようなものはみな、守っております」と言った。 「隣人を愛せよ」と言われ、「守っている」と答えたが、実際は貧 しい人に施す事ができず、主のもとを去った。放蕩息子の兄も「戒 めを破った事は一度もない」と言い、放蕩して戻った弟に怒りが湧 き、赦せない。怒りで家に入ろうともしない。 外側善行をしている人々は、義人だと思うので、内側の罪がわから ない。だが取税人もザアカイも自分の罪がわかった。ザアカイは大 喜びで主を迎え、罪の償いをした。この取税人も「私をあわれんで 下さい」とあわれみを求めて祈り、「義と認められ」帰った。 ----------------- 信仰を持っていることも、何か人より少しはましだと考えてしまう ような者だ。高ぶりは気づかない。主のあわれみを受けて、赦され て、今ここにいることを覚え感謝したい。