2025年03月30日(日)

「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足 させるようなことはありません」ガラテヤ5:16


ある女性の証しだ。毎朝、自身も出勤を控え、家族を送り出す
のに非常に慌ただしい。その中、子どもが宿題のプリントが無い
と大騒ぎする。どうしても、今日提出しなければならない。登校時
刻が迫る。自分も、もう出なければならない。必死に探し回るが
見つからない。この忙しい時に、母親はイライラし、怒りが沸い
て来る。

いつも前日にちゃんと準備するように、言っている。「何で、昨日
の内にちゃんと準備しないのよ!」腹が立って仕方がない。時間
が無く、焦る。その間も、時はどんどん過ぎる。子どもは泣きべそ
をかいている。だが「すべての事が感謝なんだ」と、ふっと頭をよ
ぎる。この事も感謝なのだと思う。しかし一方では腹が立って、怒
りがおさまらない。

心で子どもを責め立てている。感謝なのだとの思いと同時に、
強い自我は、いら立ちを手放さず、心の内であらがう。いよいよ
タイムリミットとなり、「神様!この事態を感謝します!」と意志で
信仰を選択した。すると子どもが、「あった!」と叫んだ。思いも
かけぬ所に置いていた。驚き、主を感じた瞬間だった。一見、都
合の悪い出来事の背後に、主の素晴らしいご計画がある。

御霊は信仰へと、主の方へと、私たちを引っ張り、悪魔は肉へと、
自分の思い、自分の感情を、自我を通して行くように、私たちを
引っ張る。信仰生活では、絶えず目の前に二つの選択がある。
悪魔も強く働いて来る。御霊の導きに意志を向けて、選べるよう
祈ろう。そうすれば肉の欲望はあるが、それを満たすことはない。

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いつも目の前に御霊の導きがあり、サタンに引っ張られる、自分
の肉、自我がある。どちらかを選択している。自我は強く、自分
の思いの道へ行きたい。肉は快適だ。祈りが力だ。御霊を選べる
よう、主に助けを求めて祈ろう。