2025年04月29日(火)

「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負いめの ある人たちを赦しました」マタイ6:12



人を赦すことは、非常に難しい。なかなか出来ない。自分を傷つけ
た相手をどうしても赦せない。だが、ある人が「相手を赦さないな
ら、その相手に何かを求め続けているのであり、その人に永久に縛
られて、コントロールされる事になる」と言った。赦さない事は、
結局は相手に求めている事になる。

生涯、その相手に自分の人生をコントロールされる事だ。相手を憎
むなら、憎しみの奴隷となり、結局、相手に拘束され続ける。それ
も四六時中だ。どんなに楽しい時にも、恨みの思いが、ふっと来て、
暗い影がよぎる。苦しいのは、どこまでも相手でなく、自分だ。憎
しみは、心が、どんなに辛く苦しい事だろう。一人相撲であり、真
っ暗闇の中だ。

「赦しなさい」は、自分を解放する事になる。牢獄から出て、自由
にされる。赦さない心は、自分をがんじがらめにする。ある人が、
他人にコントロールされる人生は耐えられず、心底自由にされたい
と願い、赦す決心をした。御前に祈り、意志で、赦しを選択した。
今、赦せない相手、傷つけられた相手・・具体的に名を挙げ「赦しま
す」と祈った。その時「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されま
す」を、身をもって経験した。

人を赦す事により、自分が、主から全く赦されている事、深く慈し
まれ、愛されている事を、御霊によって知れた。大きな平安に包ま
れた。人を赦すからこそ、自分が赦されている事を知る瞬間だった。
人を決して赦さないなら、自分が赦されている事を、どうして知る
だろう。赦せるよう、祈ろう。主が、働かれみわざをして下さる。
まず祈りから始まる。
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傷つけられた過去は忘れられず、何度も思い出すが、捕らわれてい
る事に気づきたい。ありのままを主に告げ、主に助けを求めよう。
自分がどれだけの赦しを既にうけているかを知っていきたい。