2025年06月29日(日)

「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行 なったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じない のか」民数記14:11



せっかく出エジプトを果たしたイスラエルの民が、不信仰になり、
カナンに入れず、荒野で滅びてしまった箇所だ。場所はカデシ
ュ・バルネア、部族から1人づつ12人の斥候たちが、カナンの
地を偵察に出た。戻ったヨシュアとカレブは、「素晴らしく良い地だ。
上って行って占領しよう。必ずできるから。彼らは私たちのえじ
きとなる」と言った。

しかし他の10人は「あの地には攻め上れない。民は私たちより
強いから。私たちは自分がいなごに見えた」と恐れて怯えた。別
々のものを見たのでなく、全く同じものを見て、正反対の反応が
出た。どこが違ったのだろう。10人は「あの民は私たちより強い」
と、アナク人と自分たちを比較した。そして攻め上れないと結論づ
けた。しかしヨシュアとカレブは「主が」と、主とアナク人を比べた。

主が共におられる。彼らはえじきとなる。占領できると。2人はま
ず「主」を考え、状況を見た。しかし、10人はまず「自分」を考
え、状況を見た。その結果、民に不信仰がまん延し、その夜、全
会衆は、恐れて大声で泣き明かした。死んだ方がましだ、エジプト
へ帰ろうと。この不信仰に陥った民はカナンに入れず、荒野で滅
でしまった。

五千人の給食の箇所で、ピリポも主に試された。「どこからパン
を買い、人々に食べさせようか」と。ピリポは、所持金を見て、不
可能と結論した。しかし、主は、所持金でなく、主には出来る、と
の「信仰」を求められた。あなたにも、今、その信仰を求めておら
れるだろうか。

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目の前に難題がそびえ立ち、解決不可能に見え、どうにもならな
いだろうか。しかし、主にはどうだろう。自分には不可能だが、主
には可能ではないか。その視点に立って、主に信仰をお献げしよ
う。主に解決して頂こう。