2026年01月30日(金)

「『あなたの信仰があなたを救ったのです。』すると、すぐさま 彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った」 マルコ10:52


目が不自由だったバルテマイが道端にいた。主だと聞くと、憐れ
みを求めて叫んだ。すると主が「わたしに何をしてほしいのか」
と問われ、「目が見えるようになることです」と即答した。当時
は現在のような福祉など無く、社会生活が不可能だった。働けず、
物乞いで、人からの憐れみで生きていた。

更に障がいは、罪が原因との偏見の目で見られ、どんなに辛く、
哀しく、惨めで、プライドが傷つく人生であったろう。これらの
原因が、目が見えないところから来ていると理解していた。その
惨めさを認め、主に、あわれみを求めた。そして願いは、即、叶
えられた。主は、彼の信仰だと言われた。

信じなければ、はなから求めない。到底主のいやしなと考えられ
ないからだ。そして彼は、主について行き、主と共に歩む人生と
された。私たちはどうだろう。悩み問題が、様々な形で表われて
来る。だがその真の原因はどこにあるのだろう。いつも同じよう
な状況でトラブルが起きるなら、自分の内に何かの誘因、根があ
る。

ある状況で心がざらつくなら、そこに何かが潜んでいる。自分の
奥にあるプライド、虚栄心、憎しみ・・何に触れ、何が原因なのか。
自分の内に欲が潜んでいる。同じような場面で起こるトラブルは、
相手や環境でなく、自分の問題だろうか。そこを主は示し、解決
して下さる。いやして下さる。「わたしに何をして欲しいのか」
と問われる主に、霊の目を開いて頂こう。平安へと導いて下さる。
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何をしてほしいのかと、問うてくださる主に、素直に明け渡した
い。健康や、財力や、プライド、しっかり握って放せないものが
あるから過剰に不安になるのだろうか。見える目を祈りたい。