2026年04月29日(水)

「そこで、彼らはイエスに答えて、『わかりません。』と言った。」 マタイ21:26



主が宮で教えておられると、祭司長や民の長老たちが、「何の権威
によってこの事をするのか。誰がその権威を授けたのか」と詰め寄
った。そこで主は、逆に「バテスマのヨハネは、天から来たのか、
それとも人からか」と問われた。すると彼らは互いに論じ合い、天
からと言えば、ではなぜ、ヨハネを信じないのか。

更に彼が、救い主と示すイエスを、信じないのかという事になる。
人からと言えば、ヨハネを神からの預言者として認めている群衆の
反発が恐い。そこで彼らは、「天から」とも「人から」とも答えず、
「わかりません」に逃げた。結局、彼らは責任を取りたくないので、
真実から逃げて、主にも、自分にも向き合わず、自分の思いに生き
て行った。

その時、主は「わたしも、何の権威によってこれらのことをするの
か、あなたがたに話すまい」と言われた。私たちも、どうだろう。
主を信じてはいるのだが、何が真実かでなく、実は、人の目の方が
気になるだろうか。主の示しに従うのでなく、自分の思い通りにし
たいので、目を閉じ、あいまいにし、ごまかしている、そんな部分
があるだろうか。

常に後回しにして、触れないようにしているだろうか。しかし、そ
れなら、主を知ることができない。あいまいにしている所、逃げて
いる所に気づくだろうか。祈りに持って行こう。気づきは祝福だ。
あるがまま祈ろう。主が、成長を与えようとされる時に、まず気づ
きを与えて下さる。
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主は知りたくない者には沈黙される。残念なことだ。曖昧なままに
しているのは、何を知りたくないのだろう。主にしっかりと繋がり、
主の真実を見て、聴いていきたい。