2026年10月30日(金) 「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられ たのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれから は罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っ ています」ローマ6:6
「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられ たのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれから は罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っ ています」ローマ6:6
主は真の「愛」を表わし、実行して下さった。十字架で、 私のためにご自分の命を捨てて下さった。「それによっ て私たちは愛を知った」。自分を犠牲にする愛、自分中 心でなく、他者中心の愛、見返りを求め無い愛、真の愛 を知った。自分の愛はどうだろう。他者を愛したとして、 応答が無ければどうだろう。 これだけしてやっているのに感謝が無い、恨みとなるだ ろうか。内心、応答を求め、見返りを求めている。それ なら物々交換だ。そして自分の思いを押しつけ、相手に 応答を強いる事になってしまう。これは相手への愛のつ もりだが、実は自己愛になってしまう。自分を捨てるど ころか、自分をどこまでも通してしまう。 一見、相手に与え、愛しているように見えるだけに、気 づかない。親子間、夫婦間、友人間でどうだろう。相手 を愛していると言いつつ、実は自分軸だ。人間の愛はこ こ止まりだ。底に自我がありどうにもならない。ここか ら救い出すために、主は十字架で死んで下さった。 古い人はそこで一緒に死んだ。「キリストとともに死ん だのであれば、キリストとともに生きることにもなる」 と。自己愛、自己中心を認め、愛が無い事を認める時に、 キリストの愛が与えられる。自らの真の状態を認める時、 主からの愛が与えられ、通り良き管として下さる。 ------------ 愛を示そうとする時、自分に愛がない事に気づかされる。 今日は頑張れても、明日は出来ない。古い自分でなく主に 結びついていたい。主と共に生きていこう。