2004年08月30日(月)

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい」(マルコ8:34)


 この世の宗教は成功と幸福を約束する。「家内安全」「交通安全」「商売繁盛」。不幸を免れたいがために信仰するので、失業、病気等不幸に会うとつまずいてしまう。しかし、私達はこの世の成功や安楽な生活が人生の目的ではない。救われた目的は聖くされる事。それゆえ次ぎから次ぎへと試練が来る。わがままで自己中心な者を聖くしていくために、造り変えるために様々な砕きを送られる。神からのものとして受け入れるなら、造り変えられていく。痛い、辛い、苦しい事を通して練りきよめられる。試練がなければ成長はない。又、はっきりと自分を捨てる事を求められる。自我に死に、神のみこころに従う事を。あなたの思っている事と異なるか。
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常に神様は試練によって、肉の部分を削ぎ落として下さる。そうでなければ変われない。成功と幸福によってでは、けっして主に近づく事も従う事も出来ない者だからだ。