2004年09月29日(水)

「私は、わたしを尊ぶものを尊ぶ。私をさげすむ者は軽んじられる」(Tサムエル2:30)

祭司エリの二人の息子が、神へのささげ物を軽んじて扱い、ささげ物を力づくで奪い、主をさげすんだ。又、天幕の入口で仕える女達と寝て、神を侮った。神は無名の神の人を遣わし、罪を指摘させた。このような神を侮るひどい行為によって、神は彼らが一日の内に死ぬと言われた。彼らの罪は、主の前で非常に大きかった。主は、その人の主への態度で、恵みを与えたり、差し控えられたりする。態度が大切だ。いじけた者にはそのように、まっすぐな者にはそのように応答される。素直な心で神に従うなら、神はあなたを喜ばれ、必ずあなたを大いに恵まれる。すべては私達の態度だ。二人の息子は死んだ。神は聖いお方だ。自らの蒔いたものは必ず正しく刈り取る。厳しい苦しい訓練となって返る。神を畏れよう。今、神に喜ばれないものがあるなら、きっぱり捨て離れよう。そして、自分の欲望のためではなく、御霊のために蒔いて、永遠のいのちを刈り取ろう。
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自分の自我や罪深さを甘く見てはならない。又、神は決して甘いお方ではない。神は侮られる方ではなく、蒔いたものは正確に刈り取る。これは原則だからその通りに作用する。罪を認めない時、神は必ず罪を指摘する人を送られる。悔い改めて正しい道に戻ろう。