2005年01月30日(日)

「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか」(ヨハネ21:15)

信仰生活では、「感情」の正しい理解が必要だ。信仰は感情によらない。感情に振り回されては、信仰生活不可能だ。丁度、店先で駄々をこねて泣きわめく子供と母親の関係だ。子供は「感情」で、母親は「意志」だ。どれほど混乱し荒れ狂っていても、構わず、母親が毅然と対処するなら、子供は母親に従い秩序を得る。もし逆に母親が子供の言うままに振り回されると、無秩序な悲惨な状態になる。聖書の言う愛は、一貫して「意志的愛」だ。意志愛でわたしを愛するかと言われている。感情ではない。感情が伴わなくとも、「意志」で従うなら、感情はついて来る。そして平安を得る。感情は横におき、まず意志で従う事だ。感情自体はどうこう出来ない。秘訣は意志だ。そうする時感情は変わる。嫌いな人には、意志で愛を表すなら後で感情はついて来る。
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感情が伴わなければ偽善だと思うが、それは誤りだ。聖書は感情は言っていない。聖書の愛はすべて意志だ。感情ではない。だから従う事が出来る。感情を幾ら変えようとしても絶対に変わらない。意志で従う道が備えられていて、そうするなら感情は変わる。